2014年12月20日土曜日

アッレグリがイタリア・サッカーに苦言「サッカーは、芸術家が華麗に舞うショーであるべきだ」

 ユヴェントス監督マッシミリアーノ・アッレグリがイタリア紙La Repubblicaに答えたインタビューが大変興味深く、面白いものだったので紹介したい。
 アッレグリはかつてミランを指揮していたとき、戦術的な理由からピルロを先発から外したことがあった。チャンピオンズ・リーグのバルセロナ戦では、ほとんどのフィールドプレイヤーを自陣に残す守備的な試合を展開した。そのため、多くの人がこの監督について、「人よりも戦術を重視する人」、「守備的な監督」といった印象を強くを持っているようだ。しかし、このインタビューに目を通せば、彼がそうしたイメージとは正反対の人であることがよく分かるだろう。



アッレグリさん、あなたは家に帰っても、やはりチームのことをずっと考えているのでしょうか?
「いつもそうしているわけではないよ。映画を見てリラックスをしている時に突然、素晴らしいアイディアが思いつくことはよくある。逆に、試合のビデオを見ながら考えを巡らせることもあるけど、そうした時に限ってダメだ。ぼーっとしながら自分だけの世界に入り込んだときの方が、良いインスピレーションに出会いやすい。」


あなたのことを「オタク」と言う人もいるけど、それはどう?
「それは違うと思う。僕はもっと社交的な人間だしね(笑)一日中じっとしながら解決策を考えることなんて僕には到底できないし、むしろさっきも言った通り、良いインスピレーションを受けるのは何も考えてないときだ。夜中に思いついた策を採用し、練習メニューを変えることもあるよ。実際の僕はデータよりも感覚で生きる人間に近い。」

じゃあ分析みたいなことはしないの?
「少なくとも言えることは、「スタンドから見た方がゲームをより良く理解できる」なんてことは全く馬鹿げているということ。僕たちはコートの中で、状況をよく見つめ、認識しなくてはならない。つまり、サッカーというものは、ただ戦術や戦略といった分析に終始するものではないというのが僕の持論だ。」

サッカーは科学ではないと?
「科学が好きな人は多くいるけど、僕からすればサッカーに科学が入り込む余地はない。サッカーはショーだ。そのショーにおいて活躍するのは、当然、科学者ではなくアーティストだ。サッカーから詩を取り除き、創造性を抑圧したことこそが、イタリアが犯してきた最大の過ちだ。創造性のないサッカーは、コンピューターでギャンブルをするのと同じで、ちっとも面白くない。」

ではあなたは自身の仕事をどう考えている?
「僕がやるのはチームに組織を与え、アイデンティティを生み出し、それらを明らかにすること。攻撃をしているときこそ、守備を意識するように選手たちには言っている。サッカーにおける監督の重要性を軽視することはできないが、監督の仕事というのは選手たちがよりプレイしやすい環境を作ることであり、それ以上でも以下でもない。サッカーとは106×68メートルの芝生の上で、選手が自分の足で走り、選手が自分の足でボールを蹴り、そのボールが予期しない方向に転がるスポーツだ。このスポーツでは、試合前に考えた計画がそのとおりに進むことはありえない。」

試合前の計画は必要ではないと?
「そういうことではない。でも、サッカーはもっと難しい。例えば、テヴェスがボールを持っていたとしよう。彼の左右には彼からのパスを待つ二人の選手がいる。しかしそこにスペースはない。こうしたときは咄嗟のインスピレーションがモノを言う。試合前に立てた計画が全く役に立たない瞬間だ。計画はただの繰り返しに過ぎないからね。もちろん、大まかなプランやプレイのサンプルを多く持つことは非常に有益であり、そこでは僕のミランにおける三年間の経験なども役に立つはずだ。しかし、もしもイブラ、セードルフ、ピルロ、テヴェス、ネスタ、チアゴ・シウヴァ、それからボヌッチのような選手がいるなら、彼らを信頼するに越したことはない。彼ら自身を、そして彼らの創造力を信頼するのだ。」

イタリアのフットボールは衰退しているのだろうか?
「イタリアの試合を見るとき、まず最初に紙にポジションと選手を書き込めば、その後に一時間くらい寝てしまっても何の問題はない。選手たちは、寝る前と全く同じところにいるのだから。しかし、ヨーロッパではそうは行かない。選手たちの動きを理解するのが非常に難しい。加えて、ヨーロッパで活躍する選手たちは、こうした複雑なフィールドでプレイする術を子供の頃から学んでいる。イタリアにはないことだ。」
「僕は、ガレオーネ(ウディネーゼやセリエBのチームなどで指揮をとった監督)のような人に師事することができ幸運だった。彼は確かに監督としてあまり良い成績を残してはいないかもしれないけど、少なくとも僕に、さっき話したようなフットボールの楽しさと難しさを教えてくれた。イタリアの子どもたちが通うサッカースクールは今は養鶏場のようになっている。イタリアのユース代表は、最もシステムに合う選手を呼ぶ傾向にあるが、一方のドイツはまず優れた選手を召集してから、彼らをどのようにプレイさせるかを考えるのが普通だ。違いはここにある。サッカーは変わったんだ。バスケットボールのようにね。」

バスケットボール?
「かつて、ダン・ピーターソン(イタリア・バスケットボール・リーグSerie A1のチームなどを指揮した監督)の1-3-1ディフェンスがバスケットボール界を席巻したことがある。この戦い方を誰も知らなかったから、ピーターソンのチームは無敵だった。それが細かく研究されると、ボールを持つ時間を増やし、そして鍵となる選手を少しでも自由にし、最後は彼に託すことが有効になった。バスケットボールは戦術のスポーツから、個人の力に頼るスポーツに変わったのだ。同様に、サッキはサッカーに革命を起こし、彼によってサッカーは次の段階へとアップデートされた。サッキの前の時代は、映像を見て分析をすることが大事だった。三年という月日をかけてゼーマンの4-3-3を研究したこともあった。しかし、サッキを境に選手たちの才能に頼ることが、サッカーでは重要になった。もはや戦術でサプライズを起こすことはできないのだ。」

新しいサッカーで大切なことはなんだろう?
「常にアイディアを巡らせながらプレイすることだ。そのためにはたくさん走らなくてはならない。」

これは、イタリアが失っているヨーロッパのメンタリティーなのだろうか?
「イタリアでは、すべてを単純にしてサッカーをしようという傾向があるが、これが近年では裏目に出ている。ヨーロッパのサッカーはよりダイナミックで、僕達はそれに屈してきた。僕たちは敵からよく学ばないといけない。創造性、プレイメイカーの役割をまた復活させないといけない。サッキによって、フットボールの方法論は変わった。あまりにも計画的で、分析を細かくするようなサッカーはもう時代遅れなんだ。」

外国の選手たちはなぜあれほど走るのだろう?
「単純にスペースがあるからだろう。イタリアでこうした試合ができるのは、拮抗したチーム同士の試合のときだけだ。この前のユヴェントス対ローマとかね。あの試合は美しかった。タフで、技術的な見どころが満載だった。しかし他の試合では、どちらかが攻め、どちらかが守るというような試合が横行している。」

こうした状況に危機感を持ったチームはイタリアにある?
「モンテッラのフィオレンティーナかな。」

ユーヴェにはこの多様性はある?
「僕たちはよく働き、よく組織され、そして自己犠牲をすることも厭わない。ユヴェントスは非常に機械的で、それこそがこのチームの強さの秘訣であり、イタリアにおいて勝利を確実なものにしてきた。しかし、これから次のステップへ進むためにはなにか新しいもの、つまりは創造性のある個人の力が必要だ。」

選手の補強ということ?
「必ずしもそういうわけではない。今の選手たちだけで、次のステップへ行くことは十分に可能だ。僕のチームにいる選手たちはもっと自信を持っていい。ユヴェントスは素晴らしい選手たちで溢れているのに、彼ら自身は自分の強さに気付いてないようだ。僕たちはまだ100パーセントの力を出せていない。僕は選手たちにこのままのパフォーマンスを続けたら許さないと、常日頃から伝えている。彼らの潜在能力は計り知れないものだ。チャンピオンズ・リーグを勝ち進むことだって難しくないはずなんだ。」

あなたは厳しい監督?
「「厳しい」が「怒鳴る」ということを意味しているのなら、僕は違う。僕は、怒鳴り叫ぶことがなにかを変えるとは微塵も思ってない。恐れは何も生まない。しかるべき方法で、落ち着いて話された言葉こそが、物事を変える力を持っている。」

チャンピオンズ・リーグの抽選結果についてはどう思う?
「バルセロナみたいなチームが来なくて良かったよ(笑)もちろん、ドルトムントを低く評価するつもりはない。確かに彼らは今苦しんでいるようだけど、彼らには確実な力がある。二月になればそれは分かるだろう。でも、ユヴェントスはチャンピオンズ・リーグで大きな仕事をするつもりだ。」

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